ポサダのカラベラ版画のご紹介とカトリーナ考察レポート

昨年10月の買い付けでは、死者の日シーズンでしたので、

大量にカラベラ=がいこつアイテムを仕入れて来ました。

中でも偶然に、有名なポサダさんの版画のレプリカポスターを

仕入れることができたのが、個人的にEMです!(エポックメイキングの略)

ポサダさんについては以前のブログも参考に!

B3〜A2サイズで手刷りの版画ポスターです。

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“grabado”とは版画のこと。

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A4サイズのミニポスター10枚セットもオススメです。

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“imprenta vanegas arroyo”

とはポサダさんが、亡くなるまで作品を発表していた出版社の名前。

現在は印刷所になってるようですが、ポサダさんのオリジナルの石版を

ほとんど所有しており、没後100年経過したので、

著作権が切れ版画を刷って販売できるようになったとのこと。

(メキシコで著作権てかなり薄っぺらい扱いですが、、、、)

なのでオフィシャルのレプリカ版画と言えるでしょう。

どれもお安くなってますので、お部屋のインテリアに1枚いかがでしょうか!

昨年11/1に参加させていただいた、

新宿のカフェラバンデリアで開催された死者の日のイベント。

そこで上智大学教授、長谷川ニナ先生の「ポサダの時代とカトリーナ」というテーマの

お話がとても面白かったので、ブログでまとめておきます。

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ニナ先生はメキシコから日本に来て30年になるそうです。

メキシコの文化人類学、とりわけ出版物と大衆文化の研究をテーマにしているらしく

興味深いお話が聞けました。

わかりやすくまとめてみました。

(1)ホセ・グアダルーペ・ポサダ

冒頭のがいこつ貴婦人「カトリーナ」の絵の作者で有名なポサダさん。

19世紀中盤から20世紀初頭に作品を発表し続けた風刺画家、版画家です。

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(画家レオポルド・メンデスが1953年に想像で描いたポサダの版画)

アグアス・カリエンテスというメキシコ中部の地方都市で産まれました。

そこから近い中部の大きな街レオンで、絵と版画で生計を立て始めます。

その頃から風刺画家として新聞の挿絵や漫画を描き始めました。

で、いろいろ不幸があり、30歳を回ってメキシコシティに移り、

現在のソカロ北にあるサンタ・テレサ通りに工房を開きます。

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彼の残ってる写真は2枚のみ

そこで彼は雑誌(風刺新聞)”patricia illustrada”で、当時の社会を風刺した表現として

ガイコツをモチーフにした絵を描き始めます。

(それを出版していたのが、今回紹介したポスターのVanegas Arroyo社です)

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その出版物の挿絵として貴婦人ガイコツ「カトリーナ」が誕生しました。

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(2)19世紀 激動のメキシコ社会情勢

18世紀後半スペインからの独立を経て、アメリカとの戦争で敗北、

カリフォルニアとテキサス、アリゾナなどを奪われ、国土の半分近くを失います。

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(緑のエリアが奪われた土地です)

その後国内で改革派と保守派による内戦が始まり、

オアハカ出身の改革派ベニート・ファレスが大統領に就任。

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(20ペソの人ですね)

しかし、ナポレオン3世に侵攻されフランスに帝政を敷かれてしまう。

亡命したファレス政府は3年を費やしたゲリラ戦で勝利。

再び大統領として復帰。

近代化に向けた政策が始まる。

ポサダが風刺画を描き始めた1871年にファレスは再選するも、

翌年事故で他界。

1876年、ポルフィリオ・デイアス政権発足。

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軍人だったディアスの独裁政治が始まり、農民から土地や鉱山を奪い、

外国に売り渡して行きました。

その資本で経済的発展を上げるが、圧政に苦しむ国民や労働者のフラストレーションは

ピークに達していたようで

1888年 ポサダがメキシコシティに上京して来た頃は

政府による弾圧や検閲は酷いものだったよう。

20世紀に入り、エミリオール・サパタやパンチョ・ビジャをはじめとした革命家たちが

各地で反政府軍を結成し、再び内戦状態となっていきます。

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(3)死者の日とカトリーナ

日本のお彼岸のような、先祖が帰ってくる日=死者の日を祝う習慣は

アステカ文明の時代からあったようなのですが、当初は8月だったそうです。

しかし後にカトリックの信仰と交わり暦も代わり、11月1、2日になりました。

しかも18世紀の教会が権力を持っていた時代には、

先住民の習慣である、死者の日のお供えや祭壇を作らせないという弾圧もあったのだとか。。

ニナ先生のお話では、メキシコシティの先住民が暮らす地区

(ミスコアクのことではないかと想像)で

墓地を封鎖するなどされて、インディオ達が墓地の周辺を囲む様子が

リサルディという作家の当時の小説に出てくるそう。

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(mixcoac 死者の日の墓地)

ポサダの生きた時代は、死者の日のシーズンになると

当時の政治家や富裕層を揶揄した、がいこつ風刺画の印刷物が出回るようになり

その紙自体を「カラベラ」と呼ぶようになったとか。

大衆はそんな「カラべラ」を買うのを毎年楽しみにしていた。

こちらはポサダよりも先輩で、先に風刺としてガイコツを描いたと

いわれる、マヌエル・マニージャさんの作品

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彼の方がポサダよりも当時のディアス政権に対して批判的で、相当検閲に合っていたらしく

その為あまり知られなかったようだというのを、ニナ先生の別の論文で知りました。

以前のショップカードにも使用した、こちらの絵もマニージャの作品

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お気に入りの絵です。

現在、メキシコでも再評価が高まり、彼の研究も進んでいるようです。

そしてポサダが最初に描いたカラベラ(頭蓋骨)の絵tombolablog-mexico

コミカルにはほど遠く、オドロオドロしいです。

こちらが貴婦人カトリーナの元になった絵。

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今ではメキシコだけでなく、ガイコツ貴婦人と言えば

このカトリーナですが、

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新聞に挿絵として掲載されたのは、ポサダの死後だったとか。

店主も実物の新聞を見ましたが、tombolablog-calavera

実際はとても小さいサイズでした。

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ポサダさんは1913年に死去しますが、一介の職業画家の死は

とくに世間で話題にもならず、そもそも生前は有名でもなんでもなかったようです。

そんなポサダさんがあっという間にメキシコ中に知れ渡る出来事が!

それは1947年すでに著名だった、画家ディエゴ・リベラが完成させた巨大壁画

「アラメダ公園の日曜の午後の夢」

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この有名な作品の中心にいるのが、ポサダの描いた貴婦人ガイコツ「カトリーナ」

いつのまにやらドレスを着て着飾っています。

カトリーナと名付けたのはディエゴだという説も。

その右側はポサダ、左は少年時代の自身の絵。後ろにフリーダ。

ニナ先生の見解では、ポサダを尊敬しているので、リベラは自分を小さく描いたとのこと。

1930年代の壁画運動を牽引したリベラやオロスコは、

ポサダに多大な影響を受けたと公言し、この絵によりその名が知れ渡りました。

かくして、カラベラの象徴にして死者の日のイコン

貴婦人「カトリーナ」は、フリーダ・カーロの夫ディエゴ・リベラによって

完成されたのです。

最後にニナ先生の説では、今では貴婦人と呼ばれているが、

当のポサダはもしや、【貧乏人なのに見栄で着飾ってる】という蔑視表現として

「カトリーナ」を描いたのではないか。

ロテリアのキャラクターにもある「カトリン」は

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「紳士ぶりやがってキザ野郎」という揶揄があるそうなので。

【女性版カトリンという意味があるのではないか。】

この説は目から鱗でした!

欧米と違い、中南米の近代については人々がどのように生活していたのか

日本では情報が少ないので、とても参考になりました。

ニナ先生の他の論文も呼んでみたいです。

それから先生が監修として、新宿のカフェラバンデリアでは月に一度

アヨツナパの学生が殺された”AYOTZNAPA43″の連帯運動として

一人一人名前と模様を織り込んだ刺繍の会を開催しています。

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とても尊厳のある行為だと思うので、関東在住で興味がある方は

ぜひ参加してみてください。

今日4月にあるボブ・ディランの公演チケットを買いました。昨年行けなかったので楽しみです。


「スペイン語は愛の言葉」

昔、スペイン語を勉強しようと思ったキッカケがこの曲でした。

生で聴きたいなぁ。

亡き叔母からたくさん頂いたレコードの中の1枚でした。

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