プエブラのタラベラ陶芸とガレオン交易
現在、今まであまり入荷のなかった
一般的なプエブラ産タラベラ陶器が、いろいろ在庫ございます。
少し古い90年代から2000年代にかけてのものなので、
光沢の少ない落ち着いたデザインや、絵付けのものが揃っております。
ぜひチェックしてみてください!
![](https://blog.tombola11.com/wp-content/uploads/2015/05/retro-shopping-icon-set-featured.jpg)
植民地時代にスペインから伝わった陶磁器。
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“Ceramica Mayolica” マヨリカ焼きと呼ばれ、
プエブラとグアナファト、ドローレス・イダルゴで現在もっとも盛んに
生産されています。(実はトナラなど他の州でも生産されています)
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製法は白い釉薬を塗布し、高温の窯で焼き上げ白磁器に仕上げ、
絵付けを施していきます。
地中海周辺のイスラム文化からデザインの影響を受けた意匠。
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タラベラはスペインの首都マドリットの南西にある街。
プエブラの陶芸は製法はマヨリカ焼ですが、青と白を中心とした
この街のデザインの影響を大きく受け、タラベラ焼きと呼ばれるようになりました。
そしてヌエバ・エスパーニャ(スペイン統治)の時代
フィリピンの首都マニラからやってくる交易船が運ぶ
中国や日本の陶磁器や漆器の影響もかなり受けたそうです。
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大国スペインはマゼランが発見した東南アジアの群島を
フィリピンと名付け、そこに住み着いた華僑達と通商を始めます。
華僑はパリアンと呼ばれ、現在プエブラの土産物街の名に使われています。
しかしフィリピンはスペイン本国からはかなりの遠方であったため、
ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)が領主国としてフィリピンを統治することに。
メキシコ南部のアカプルコは、マニラからの交易船を受け入れるため
また敵国ポルトガルなどの侵入を防ぐために要塞が作られ、開港されました。
当時スペインからは家畜、油、木工家具、陶器など
そして経由地アジアからは絹、織物、白磁器、象牙、琺瑯(中国)
漆器、蒔絵、屏風(日本)刺繍、ショール、金工品、闘鶏(!)(他東南アジア)
がガレオン船を通じてメキシコにもたらされました。
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メキシコからは銀、染料(コチニール)そして原産の野菜(トマト、芋類、ライム)
唐辛子、豆、カカオ等がアジアを経由してヨーロッパに渡りました。
現在世界中で食べられている国々の料理は、
このようなラテンアメリカの食材があって発展したのでしょう。
アカプルコに運ばれた輸入品を当時最大の港、ベラクルスへ運ぶ際の
拠点となった街がプエブラ。
すでにかなりの人口が暮らし発展していた街だったので、
アジアやイスラム文化の混じったヨーロッパからの
影響を独自に発展させていきます。
それがプエブラのタラベラ陶芸であり、
それ以外にもタコスのパストールやケバブのようなアラブ風タコス、
タイルを用いたモスクのような教会建築など
現在はポブラノ(プエブラ風)スタイルとして確立されました。
そして何と言っても……..
プエブラにもたらした、
「チナ・ポブラナ」と呼ばれる女性の民族衣装の影響はかなり大きい!
盛んだった交易船の中に中国人に紛れて乗っていたとされる、
ムガル帝国(モンゴルからインド北部のイスラム圏の国)の王女ミーラ。
彼女は海賊に囚われていましたが、解放された後カトリックの洗礼を受け
ガレオン船でアカプルコからプエブラにたどり着きます。
そのミーラが身につけ持ち込んだ、女性用のショールやスカート、ワンピースなどは
チニータス(中国風)と呼ばれ瞬く間にプエブラの女性達が真似し始めたそうです。
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これが今ではメキシコを代表する民族服となり、
各地方のインディヘナが着用するウイピル以外は、
メヒカーナの伝統衣装になりました。
スペインとマニラ、アカプルコを結んだガレオン船の交易は
メキシコ独立後次第に廃れていきます。
また同時期に起こったこの交易船が日本で難破したことによる、
二十六聖人殉教事件とメキシコの聖人フェリペについては
☞過去ブログを参考に!
メキシコの独立記念日には各地でチナ・ポブラナの衣装に身を包んだ
女性達のパレードがあります。
このようにプエブラは独自の文化を築いた不思議な街。
マドリッドのようであり、イスタンブールのようであり…..
ぜひメキシコシティからも近いので観光に行かれる方にはオススメです!
10/27(土)もう明日です!
表参道wall&wallで開催される“Dia de muertos Tokyo”
ぜひみなさんいらしてください〜!!
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