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アマテ紙とサンパブリート村

新年になり1週間も過ぎましたが、

あけましておめでとうございます。

 

今年もたくさんのメキシコの民芸品や情報をご紹介できるよう

こちらのブログも一層充実させたいと考えております。

 


 

昨年11月に初めて訪れたプエブラ州の山間の村サン・パブリート。

ほぼ山頂でした。

 

その様子はいずれ買い付けジャーナルで記しますが、

村の名産品である、アマテ紙と切り絵をたくさん村で買い付けてまいりました。

村はプエブラ州ですが、イダルゴ州と隣接しており

広範囲にまたがる地域で生活する、先住民オトミ族が暮らしています。

言語もやはり現地の言葉。

 

アマテとは………

アステカ時代に交信や記録手段のために使用されていたパペルス紙。

 

 

アマテという樹木があったとか、イチジク、クワの木からできているとか

諸説ありますが、村では”jolote”=ホローテと呼ばれる木を植樹しているそう。

 

その樹皮を煮沸し石灰などで不純物を取り除き、繊維に仕上げます。

それを濡らした石で叩いて叩いて、強く丈夫な紙に形成していきます。

ビールは何に使うのでしょうか….. 聞いておけばよかった。

 

muy短いですが、動画を撮りました。


家族総出で叩きまくっております。

 

そして本題ですが、当時アマテ紙はメキシコ各地で生産されていました。

テノチトラン(アステカの首都)に年貢として収められていたという説もあります。

 

しかしスペイン征服後に紙作りは禁止されます。

それはアステカ人たちは宗教的な儀式のために、

アマテを生産していた側面があったからだとか。

新しい作りたてのアマテ紙も仕入れました。

 

で、あまりに僻地のシエラ・マドレ山脈の斜面にあった、小さなこの村でだけ

アマテは細々とその製法が伝わっていきます。

(50年前まで馬でしか行き来できなかったそうです)

 

 

やがてこの村に住むオトミ族たちの土着信仰のため、紙を切り絵にして

呪術で使うようになります。

 

利根山光人「メキシコの民芸」より

アマテを使った左の切り絵は主に呪いの儀式のため。

右は普及し始めた支那紙=パペル・チナ(薄いパラフィン紙のようなもの)

で切られた精霊。

 

現在でもこれだけの図案が残っています。

 

下図はこの地の守護神たち。

 

アニミズムに基づき、それぞれ用途や意味が異なるようです。

 

こちらは豊作を願うセニョール=精霊の切り絵。

 

 

田植えや収穫の時期、画像のように吊るしていました。

 

 

メキシコがお好きな方はお気づきかもしれませんが,,,,,,,

これは現在メキシコ中の街や広場で飾られている、

切り絵の旗=パペル・ピカドのルーツです!

https://nambaman.tumblr.com/post/157392547673/los-papel-picados-en-tlacolula-oaxaca-16-de-abril

 

 

そしてもう一つ。

刺繍が盛んなサン・パブリートで産まれたのがオトミ族の刺繍。

 

1977年に発刊されたこちらの書籍の表紙もオトミの刺繍です。

 

このようなシンプルだったデザインを元に、イダルゴ州テナンゴに住むオトミの人々が

メキシコシティの張り子の妖怪「アレブリヘス」を、カラフルに縫い始めたのが

現在のオトミ刺繍。

11月に見たパレード用の大きなアレブリヘス

 

世界中で人気のあるオトミ刺繍

 

メキシコを代表する2つの民芸雑貨が、この小さい村から産まれたのは

エポックメイキングなことではないでしょうか。

 

 

そしてアマテ紙は研究で訪れた学者たちが都市部に運び、売買されるようになり

ゲレーロ州のナワ族が紙に絵を描いて、土産品として売るようになっていきます。

 

 

このように村の特産品となったアマテですが

大量生産するために工業用染料や化学物質を使うようになり、

また樹木の過度の伐採で、生産が減少。

残念ながら他の民芸品生産の村と、同じ道をたどっています。

 

 

 

精霊たちの切り絵。台紙は白木のアマテ紙です。

紙を強くするために格子状に編まれた繊維のアマテ。

トライバルな曼荼羅のような切り絵デザイン

などなど、この村でしか作られていないアマテ紙と精霊の切り絵。

 

秀逸なデザインは、フォークアートを取り入れたインテリアなどに

相性がよさそうです。

ぜひチェックしてみてください。

 

アマテはコチラ!

 

 

 

 

 

新年最初に聴いたレコードはなぜかピンクフロイドの1stでした。