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メキシコ買い付けジャーナル ’19 【7/15 オアハカを後に】

9時起床。

夜寒かったなぁと思っていたら、部屋のドアが開けっ放し。

昨夜酔っ払っていたのかな。

 

本日は発送業務の日。

 

パッキングとインボイスを交互に作る。おそらくなかり効率が悪いでしょう….

 

インボイスをプリントアウトするため、ネットカフェへ。

 

 

受付カウンター下で爆睡中の犬。

 

 

公園でスペイン語教室….しかしチェスに興じています。

 

 

 

ガビちゃん宅に台車を借りに行きました。

 

お庭はいつも花が満載で素敵。

 

 

宿から三往復してFedexの営業所に運びました。

3ブロックとはいえ疲れました。

100kgくらい発送

 

 

 

帰り道中にあった”#tlayudas”という店でランチ。

 

タサホ=干し肉のトラユダスがドリンク付きで60ペソ(350円)

味はまあまあでした。

正直、トラユダスが美味しいか否かは、肉やトルティージャを炭で焼くか

サルサの味だと思います。

 

 

宿で少し休み、荷物を預かってもらって

午後2時ごろ街へ出発。

 

 

 

いい感じの山車が展示あったお店

 

 

街の西側へ。

 

 

途中にあったオーガニックなメルカド。初めて行きました。

 

エントランスでは小学生が思い思いに絵を描いています。

 

 

 

中は広くないですが、静かで落ち着いた雰囲気。

フードコートのような屋台も。

 

 

休憩がてらテハテを。40ペソでいい値段しますがしっかりヒカラ=ひょうたんでサーヴ。

 

☝︎ヒカラいろいろ販売中です〜

 

 

先生?が壁画を手伝っていました。

 

 

セントロ方面へ。

アマテブックスへ民芸品の本のチェック。

(伝統ある本屋はこの1ヶ月後、建物のオーナーが代わってしまい閉店したそうです泣)

 

 

 

 

路上のハチミツ売り

 

 

オッサンなのでまともなバスでメキシコシティに帰るつもりでしたが

なんと800ペソ以上(4500円)したので、いつも同じく教職員バスの切符を買いに来ました。

こっちは260ペソ(1400円)

 

 

顧客の方からの注文のメスカルを仕入れに。

 

 

時間があるので、アツォンパ村に行こうと考えていましたが、

急に大雨到来。

どうしようもなく靴がびしょ濡れ….

 

 

30分ほどメルカドで時間つぶし。

 

 

 

雨も止み、一路北へ。

 

街の北部ソチミルコ地区へ久々に来ました。

 

 

オハラタ=ブリキ細工の職人、トマスさんの工房へ。

 

この工房はほぼ受注生産なのでストックはありません。

トマスのおっちゃんにこれから製作してほしいアイテムの相談。

三代続く素晴らしい技術を持ったレイバファミリー。

 

政府認定のグランデ・マエストロです。

 

一つ一つ丁寧に作るなぁ。

 

 

在庫のあった細かい雑貨を買い付けて工房を後に。

 

 

路上の壁画。 遠近法無視!!

 

 

ビクトルのおっちゃんが月曜にいっぱいウッドカービング持ってくるて

言ってたので店に顔を出しました。

が、未着色のものばかり…..

この素地のものもええんやけど。

 

 

Teresitaを後にして、屋台通りで夕食を。

ポテト,カラバサの花,ウイトラコチェ。それも大地の恵み。

 

昼に続きトラユダス。コチラはモレ・アマリージョ。30ペソ (170円)

具は鶏胸肉にオレンジのコクのあるモレソースで焼かれたもの。

このシンプルな味が好きなのです。

 

今日はパレードがないので、屋台街もお客さんがちらほら。

 

 

戻る際にメキシカンテキ屋のチェック。

当てもんや射的、スマートボールなど日本のお祭り屋台と同じです。

 

 

通りかかったら開いていたサウルのおっさんの店へ。

伝説の陶芸職人エロン・マルチネスと友人だったので、すごいコレクションをお持ちです。

 

 

 

それ以外にもゲレーロの仮面や地元オアハカのフォークアート。

 

 

意外に長い付き合いです。20歳も年下の嫁と再婚して幸せそうだ。

 

 

 

夜のサント・ドミンゴ寺院。

 

オアハカは住んだら楽しい場所でしょうね〜。

2011年の震災の後、本当に引っ越ししようと家を探した時期もありました。

 

 

ギャビー宅へ荷物を取りに行くと、偶然に吉田ヒロ先生がいたのでビックリ!

40年以上メキシコで創作活動をしている絵描きさん。

何年か前お会いしただけでしたが、覚えていてくれてよかったです。

 

オアハカから現在はメキシコシティに移ったそうで、

DFで再会を約束しました。

 

 

午後10時ごろ、タクシーを捕まえて幹線道路沿いのバス乗り場へ。

 

11時、教職員バスでオアハカを後にメキシコシティへ帰ります。

 

 

 

なんとアフリカ音楽の生き字引であるマヌ・ディバンゴさん!

高齢もありましたが、コロナウイルスが原因でお亡くなりになったそうです….