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メキシコ買い付けジャーナル’19 【7/21 終わりと始まり】

前回からの続き

 

チョポ美術館のお知らせのない休業に予定が狂い、帰ろうかなと考えましたが

まだ午後3時。

 

ふと思いついて国立人類学博物館に行くことにしました。

2007年に行ったきりなので実に12年ぶり。

 

メトロを乗り継いでアウディトリオ駅へ向かいます。

 

乗り換え駅タクーバの構内展示。

メキシコを代表するボレロ作曲家兼歌手アグスティン・ララの広告。

日本でいうと服部良一さんに坂本九を足したような存在でしょうか。

 

1930年代の当時の広告ポスターの展示。

 

これは貴重なものが見れました。活版印刷技術が進んでいたメキシコならではのデザイン。

 

 

 

アウディトリオ駅を上がるとすぐに”Auditrio Nacional”=国立の室内アリーナ会場。

夕方4時前ですがすでに人が集まっていました。公演は演劇ぽかったですが確認してません….

 

 

チャプルテペック公園を少し横切ると現れる大きな施設。

この国立人類学博物館はメキシコの文明を端的に展示した博物館であり、

メキシコ中の出土品は現地よりここに集められているそうです。

(遺跡に行っても出土品がないことが多々あります)

 

日曜は無料なのでするっと入れました。人もそう多くなく….

 

エントランスからすぐのギャラリー企画展示から観覧。

偶然にも興味深い展覧会が!!

 

フランス人写真家が1930年代の各地のフィエスタやカーニバルを記録撮影したもの。

そしてその地や村に合わせた仮面の展示という、なんともシナジー効果のある展覧会になっていました!

 

下記 tumblrにまとめてあります。

 

https://nambaman.tumblr.com/post/620168519805468672/el-fot%C3%B3grafo-franc%C3%A9s-es-pierre-verger-realiz%C3%B3

 

写真家が撮影した1930年代はメキシコも近代化に進みつつ、

壁画運動やフリーダの衣装を鑑みれば、民族回帰的な時代でもあったのでしょう。

 

加えて1950年代のポートレイトに映る、トロツキーの写真などからは積極的に亡命者を受け入れ、

大戦後の社会主義や欧州各国 、そしてベトナムや朝鮮戦争に邁進していたアメリカ

とうまく距離を取り、資源国家として経済的飛躍を見せた時代背景が垣間見れます。

 

極めて興味深い展示で、私的にナイスタイミングでした。

 

 

そしてだだっ広いこの博物館に来た訳は、

改めてメキシコの民芸とその土地の文化や歴史を考察するため、

2階の先住民文化の常設展示を拝見するためです。

 

先住民地域の現在

 

 

20年前に初めて来た時は一階の見学でヘトヘト。

2回目は上の階の展示が面白いなと感じた程度でした。

(当時民芸品に興味がなかったのもあります)

 

“Gran Nayar”=主にウィチョールや コラの地域のインディオ文化。

 

 

“Otopame” 広い地域に居住するオトミの文化

 

 

”Los Nahuas” ナワ族を中心としたアステカの末裔たちの文化

 

他にも分類が地域ではなく、言語習慣を中心とした先住民文化で分類していることに

気づかされました。ちょっと目から鱗でした。

 

安いデジカメの画像ですがこちらもtumblrにまとめてあります。

https://nambaman.tumblr.com/post/620432890601373697/una-exposici%C3%B3n-permanente-de-la-cultura-ind%C3%ADgena

 

映像を紹介するブース

 

バルコニーから階下の展示を見れるスペースもあります。

テオティワカン遺跡の原寸大レプリカ

 

 

 

と2時間以上かけて堪能いたしました。

 

民芸品だけならば”Museo Arte Popular”という博物館がセントロにありますが、

フォークアートと呼ばれるものは、

結局人間がその手で作るものなので物だけでなく、

生活習慣や経済状況、地域、食生活に至るまでその関係性や影響を知ってこそだと考えています。

 

改めて、未だ見ぬメキシコの各村へ行ってみたい! という情熱が沸々と。

 

盛況なミュージアムショップ。

昔ここでしか販売していないCDシリーズを探しましたが、さすがにありませんでした….

 

 

ランス・ワイマンの秀逸なフォントのロゴ

 

 

ごった返しているチャプルテペック公園を尻目に、メトロブスを乗り継いで帰宅。

レフォルマを走る新路線のおかげで、便利になりました。

 

 

帰って最終の荷物チェックと準備。

 

パコと飯でも食おうと思ったが、腹減ってないということで一人で外食。

まだこんなビートル=ボチョが走ってます

 

 

 

2ブロック歩いてチアパス通りに屋台を発見。

最後のタコスを堪能します。

 

 

チュレタ(バラ)、セシナ(リブ) いやぁうまいなぁ。アランブレ(ミックス)も追加。

1個15ペソのいい値段のタコスだけあってボリューミーでした。

またすぐに食べにくるから惜しくない!

 

ビール買って帰りパコと少し飲み、謝意を伝え夜9時ごろ空港へ。

 

日曜夜のローマは全くタクシー通らないので初めてUber呼びました。

 

100ペソで行けた….安いな。

 

 

そしてアエロメヒコのスタンバイカウンターで無事チェックイン。

 

席は空いてるのはわかっていたので、すんなり搭乗できるはすが….

 

酒臭いというので、搭乗口でアエロメヒコのスタッフが

「上のカフェでコーヒーがぶ飲みしてきなはれ!」

という指令がありその通りエスプレッソのWを流し込み、マスクをして再度搭乗口に向かいます。

 

すると…..「あんた賢いやんか」と褒められました。

最初からマスクすれば良かったんかい〜!

 

 

しかし昔々webチェックインがない時代はリスト漏れで乗れずに、

何度か空港からペンションアミーゴに帰った記憶があります。

イイ時代になりました。ベンリ最高!

 

 

アエロメヒコにしては機内食がカツ丼とは珍しい(と思う)

 

通路側でストレスないフライトで早朝成田着。

 

 

 

 

今はたくさんメキシコ人も日本に観光にやってくるようになりました。イイこと!

 

 

 

 

1年ぶりの買い付け旅は、いつもと変わらずあくせくした日々でした。(相変わらずトラブルも多く)

 

 

この3ヶ月前に息子を亡くし、正直これからの人生に対し自問自答を繰り返していました。

 

でも無理してでも来てよかったな………

 

本当にメヒコに救われた気がします。

 

そしてシンプルな目標ができました。

 

 

 

 

悔やむべくは一度だけでも、もんどを連れて来たかったな!!

入院中の(2018年9月)パジャマ代わりのユニフォーム姿