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Nota de Maestro en Japon! /アンヘリコ・ヒメネス来日顛末記 ~プリ・プロローグ

イントロより続く。

 

年末より悩んでいたのが

「ヒメネスファミリーの木彫人形展」の会場探し。

 

とにかくオアハカから4人も日本に来るので金銭的な不安がよぎる。

なので場所のレンタル料や手数料の負担が少ない展示会場の選定を模索していた。

 

そんな時、スタッフSが見つけたインスタの投稿。

うちのお客さんで通販をよく利用してくれている

張子作家の「寿印」こと田中寿尚さんの作品販売会を昨年秋に開催していた画像。

12月に毎年やってくるダルマ三人衆。 山響屋の瀬川さん、足つきダルマ作家のヤチコさん、スケボーダルマの寿印さん

 

 

 

 

なんと展示会場のコーヒー屋さんのオーナーもトンボラにたまに来てくれて

爆買いしてくれるお客様だ!

 

というわけで、年が明けてオーナーである山口さんに相談すると、

「面白そうなんで会場として使ってもらってもいいですよ」

と快諾いただいた。

今まで自社の企画以外で棚の貸し出しなどはないそうで、販売手数料も格安すぎる条件で

開催させてもらえることになった。

会場の目処が立ち、胸を撫で下ろし新年を迎える。

 

 

そして 1月半ばから店主はメキシコへ。

オアハカは2月半ばに訪問。

 

日程とスケジュール、日本への渡航費と滞在費用の捻出案を

アンヘリコとイサイアス・ヒメネスに渡すため、プランを紙に印刷してアラソラ村に向かう。

 

まず今回の来日企画には関係ないが、(後日、少し関係あることになる…..)

東京展のためのオーダー作品を受け取るために、アルマンドの工房へ。

夫妻は配達でセントロに行っていて留守だったが、息子のAlexが対応してくれた。

(今回はしっかり皆の撮影をしました)

結構、作品が揃っていたので少し買い足す。

 

工房の外に顔ハメパネルが。SNS対策に余念がない。

 

 

そして10分ほど歩いてアンヘリコ師匠のお宅へ。

 

玄関周りを改装して、新たにギャラリーが出来上がっていた。

作品の展示もできるようになり、少し人が来やすい雰囲気にはなっている。

いつもいる娘のマリカルメンは不在で旦那のウーゴとマエストロ・アンヘリコ。

 

印刷したプランを細かに解説。

 

掻い摘むと、

・航空運賃はトンボラの立替。ただし金額に相応する作品数の対価と交換。

・滞在費はワークショップの参加費と、彼らが持ってくる作品を日本で販売した売り上げから捻出。

・東京と大阪の移動費はみんぱくが負担する。

 

という内容のもの。

 

1年前まで創作意欲のなかったアンヘリコをここまでやる気に戻させたのは

確実のこの娘夫婦がケツを叩いたからで、日本に行くということも彼らがプッシュしているようだった。

 

しっかり東京の展覧会の注文品はできていたので受け取って隣のお宅へ。

 

最後はイサイアス宅。

 

仕事中だったが手を止めてくれたので、同じように来日プランの説明。

兄のアンヘリコも行くということにやや複雑な表情….

 

少し考えさせてくれとのこと。

いつも作品は委託販売にしてくれているので、

また作品を預かってイサイアス工房を後にする。

 

店主はメキシコに戻ればいつも2ヶ月半ほどいて買い付け業務をしているのだが、

その間も航空券のチェックと日程調整を進める。

 

アンヘリコから

「大使館かみんぱくの招待状があれば、オアハカ州の援助を受けられるかもしれない」

という連絡があり、大使の署名入りの文書を2枚(アンヘリコ親子とイサイアス親子)

発行してもらったり、

みんぱくの担当教授からは「みんぱくでのワークショップは5月21日が望ましい」という

意見のため、その日を中心に前後1週間でスケジュールを決めたりと。

 

自ずから大使館でのワークショップは、次週の5月27日になる。

 

3月になり中旬に再びオアハカへ。

アラソラ村にミーティングへ向かう。

 

アラソラの男性はみな背が高い。若者はバスケットボールに勤しむわけ。

 

 

父マヌエルの牧歌すぎる絵の壁が、兄弟の工房を分け隔てている。

住所は同じ。

 

まずはアンヘリコ宅へ。

この画像の背後にうっすら映る写真は亡き奥様

 

マエストロと義子のウーゴは完全に日本に来る気なので、話は早い。

先月提示した条件でOKをくれた。

 

この時アンヘリコが「6月1日は私の誕生日だ。なのでこの日まで日本にいたい」

という事を言い出す…..なぜ日本で誕生日を迎えたいのか…..?

 

ま、いっか。

 

そしてお隣イサイアスの工房へ。

この日は珍しく息子もいて皆で作業をしていた。

 

大使館が招待状を作ってくれた事や、みんぱくの教授からメールが来ているか、

などの確認をしたあと、彼の答えは

「日本には行かない。航空券が高いし注文も溜まってるので仕事をしなければならない」

仕事が忙しいなら仕方ないが、先月まではあんた「自費でも日本に行きたい」と言ってたぞ。

 

着色前のナワルの作品が数体あり、奥さんが塗装に取り掛かろうとしていた。

「これ日本のムセオからの注文だよ」と親切に教えてくれる。

うん?日本のムセオてみんぱくの事か??

あれれ? おかしいぞ。ミュージアムショップから頼まれてナワルの見積もり出したら

「高いからやめておきます」と前に返事が来たぞ。(みんぱくとの件は最後に加筆します)

 

この鹿いいなと思ったので買っていこうと思ったが売約済みだった。

この鹿も。 (のちにこの2体を含め、日本で売られることになるのを知る……)

 

訪れるたびに日本に来る具体的な方法の話をしていたので、

イサイアスが来ないのは正直残念だった。

 

ま、でも仕方ないか。 2人になったので気が少し楽になったのは確か。

 

そして3月25日からアエロメヒコがメキシコシティと東京の直行便の運行を再開する。

 

ExpediaやSkyscannerと毎晩にらめっこして、ペソがグッと安くなったタイミングで

アンヘリコとロケ親子の航空券を予約。

5月18日出発 6月2日帰国とマエストロの希望通り誕生日まで日本にいる日程にしたので、

3日ほど後ろにずれた。

 

この日程変更が後に大きく影響するとは、この時点では誰も知らない。

そしていつの間にか、アンヘリコの付き添いは娘婿でなく長男のロケに代わっていた。

やはり信頼できるのは実の息子ということか…..。

 

 

続く